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8月, 2021の投稿を表示しています

二十日盆、晦日盆・・・

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  8/16、「送り盆」が終わりました。 お参りにきていただいた皆様、ありがとうございました。 新型コロナウィルス感染予防という形での実施でしたが、 皆様の協力もあり、大きな混乱なく棚経を終えることができました。 受付対応してくださいました、総代さま、世話人の皆様にも改めて感謝申しあげます。 さて、「送り盆」も終わったので、お盆は終わり・・・ではなく、お盆はまだ続きます。 昨日は「二十日盆」でした。 東北地方で残っている風習で、特に秋田地方では夜に門外で火を焚き、握り飯や餅を焼き、病気にならないように祈る風習が残っています。 他にも・・・ 私の出身の新潟では13〜15日を「表盆」とよび、16日や20日、24日を「裏盆」と呼び、赤飯を食べたりします。 八月の終わりは「終い盆」あるいは「晦日盆」といわれ、お盆の月が終わりを迎えます。 といいつつ・・・ 「八朔」といって、月をまたいでお盆の行事の締めの締めといった行事があったりして、富山では有名な「おわら風の盆」が9/1〜9/3に開催されます。 まさに八月はお盆の月ですね。お盆行事の奥深さを感じます。 参考文献:藤井正雄「盂蘭盆経」講談社

盂蘭盆の語源

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  皆様こんにちは。 アクセスが増えており、嬉しい限りです。 「盂蘭盆」の元となっている「盂蘭盆経」については、すでにプリントで紹介しましたが、 < お盆のプリント > 『そもそも「盂蘭盆」とはどんな意味?』というお尋ねがありましたので書いてみたいと思います。 新纂浄土宗大辞典によりますと、「盂蘭盆」の語源は6つあるとあります(多いですね)。 有名なものには、 ①「ウランバナ」(さかさづりの意味)を起源とする説 ②「お盆(盆器)」を起源とする説 ③イラン系の言語の「ウルバン」(霊魂の意味)を起源とする説 などがあります。 最近は研究が進み「盂蘭」が「ご飯」と解釈できるそうで、続いて「盆」とくるので、 「ご飯をのせたお盆」という説が有力になっているそうです。 いずれにしても、古来から、また民族や人種を超えて、「霊魂」を崇めて「ご飯」を差し上げる習い供養が続いていることが、すごいことだと感じます。 今日の18:00合同棚経で、今年のお盆の合同供養は最後となります。 どうぞよろしくお願いいたします。

経木塔婆(きょうぎとうば)

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源光寺ではお盆のお参りいただいた方に経木塔婆をお渡ししています。 法要で使用する卒塔婆は板塔婆とも呼ばれ厚さが1cm程度ありますが、 経木塔婆は1mm程度の薄い塔婆です。 長さも卒塔婆に比べて圧倒的に短くなっています。 源光寺では、経木塔婆はご自宅にお持ちいただき、お仏壇におまつりいただきます。 1年間おまつりした経木塔婆を翌年のお盆に再びお寺に持参いただき、お焚き上げにして、 新しい経木塔婆をお受け取りいただくという慣習になっています。 この経木塔婆は地方によっては「水塔婆」とも呼ばれているそうです。 経文の一説や法名を書いて川に流して亡くなった方々を弔う風習によるのだそうです。 また水槽につけて供養するなどの方法を取られることもあるようです。 そういった「水回向」を行うことから「水塔婆」と呼ばれるようになったとの説が あるようです。またこの薄い形状も川に流しやすいようにということかもしれません。 (諸説あるようですので、参考までに) どうぞお盆の合同供養、またご自宅でもお念佛をおとなえしてご先祖様はじめ 一切精霊の供養をしていきましょう。

このブログの見方

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  パソコンやスマートフォンなどお使いの端末によって見方が変わるかもしれませんが、 このブログの中身、特にすぐにみたい「源光寺の歴史」や「写真のページ」、 また見たい記事の索引(タグ)は、 上の写真の「左上の三本線」をポチッと押して いただきますと、見られるようになります。 なかなかスマートフォンが普及してきたとはいえ、あまり使用しない方もあるかと 思いますので、少しでもお助けになればと思います。 引き続き、よろしくお願いします。

お盆棚経の際のプリント

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  お盆の棚経の際に「経木塔婆」と「プリント」をお配りしています。 今年のプリントには、このブログのURLやQRコードをのせておきました。 そのプリントから今ブログを見てくださっているとしたら、大変嬉しく。 引き続きご覧いただけるよう、更新をほどほどに頑張ります。 プリントのデータを一応置いておこうと思います。 源光寺お盆のプリント

お盆棚経が始まります(合同棚経のご案内)

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  お盆の棚経が始まります。 今年も新盆の仏様があるご家庭には基本的にご自宅におうかがいしてお勤めさせていただきます。 それ以外の方々は例年通り、合同棚経にお参りくださいますようお願いいたします。 いつもお盆の際に役員さんを通じてお配りしている、合同棚経のご案内を こちらにもあげておきます。 お盆の御供養合同棚経のご案内 昨年同様、やはり新型コロナウィルスの影響から、皆で一緒のおつとめが難しい 状況から、本堂に待機していただくことなく、お参りいただくことになります。 ①本堂内で受付 ②本尊前で焼香 ③位牌堂でご先祖様をお参り ④会館で年回表のご確認 という順路でお願いいたします。 どうぞよろしくお願いいたします。

源光寺の山門

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  車で上る裏参道を利用される方が多いと思いますが、表参道には石段、そして山門があります。 山門は、寺院境内に設けられた表門のことを指します。門の造りは様々な門がありますが、源光寺の門は、一般に「楼門」と呼ばれる形式で、葛西公の菩提寺であることから立派な造りになっています(参考: 寺社建築の豆知識 )。 山門は「三門」と呼ばれることもあります。 本堂を涅槃(悟り、あるいは浄土)と見立て、そこに入るため「三解脱門(空門・無相門・無願門)」を通るという意味があります。 全ての存在は移り変わり(空)、そのため定まった形がなく(無相)、ゆえに執着することがない(無願)という意味です。 厳しい季節は別として、お時間のある時はぜひ山門をくぐってみられてはいかがでしょうか?

源光寺の高野槙

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  源光寺の境内にある葛西家御霊屋の脇に高野槙の大木があります。 この槙は葛西家 初代 葛西俊信公が参勤交代の際に、江戸より持ち帰り植えたものと伝えられています。 俊信公が江戸から持ち帰った3本の槙は、源光寺に1本、葛西家山崎館に1本、飯野川居館(現:飯野川小学校)の心の字型の池際に植えたとされています。 飯野川居館の槙は、成長し、親しまれていたようですが、大正年中に台風で倒れてしまったそうです。 葛西家山崎館の槙は、植えて間も無く枯死したとのことで、その後代わりに植えた杉の木が育っているようです(未確認)。(参考文献:わがふるさとの町飯野川,1965) そのため、源光寺の槙が葛西公ゆかりの現存する槙となっています。

源光寺のカヤの木

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  源光寺裏参道の坂を上がると右手、本堂目の前にカヤの木があります。 写真(2枚目)にもありますが、河北地区選定天然記念物と看板がありますが、 樹齢400年以上(指定を受けた時からすでに30年ほど経っていますので430年以上かと思います)です。 高さは30メートル以上あります。 年にもよりますが、季節になると大量の実を落とします。 これからもお寺の宝として大事にしていきたい木です。 車で来るとなかなか見上げる機会もないかと思いますが、ぜひ見上げてみてください。

お盆に向けて2

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  お盆に向けて、猛暑の中、手摺窪墓地の清掃を行っていただきました。 ありがとうございます! 手摺窪は「手摺窪共同墓地」という名称になっています。 最近できた分譲墓地と異なり、昔(成立が不明)からある墓のため、区画が曖昧であることも多いのが難しいところですが、歴史深く、由緒ある先祖代々のお墓が祀られている墓地らしい墓地ともいえるかと思います。 共同墓地のため、源光寺のお檀家さんでない方の墓標や、歴史古く無縁となっている墓標もありますが、護持会の皆様の助け合いの精神の 中でなんとか維持されております。 例年、ゴミの分別で業者の方々も苦心しておられます。 ゴミの分別、特に陶器や金属などの危険物になりうるものの廃棄はご遠慮ください。 転倒された方の怪我の元になったり、ゴミ回収や処理に莫大な費用がかかり、護持会会計を圧迫している現状があります。 夏のため草木が生えるのも早く、なんとも難しい季節ですが、美しい墓地で、気持ちの良いお参りをお互い様ですすめていきましょう! よろしくお願いいたします。

お盆に向けて

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  お盆の棚経に向けて樹木の剪定、境内地の草刈りを毎年お願いしております業者様に行っていただきました。 この広い敷地をきちんと行っていただける業者様は少なく、いつも有難い限りです。 猛暑の中、ありがとうございます!

入道雲、積乱雲、雄大積雲・・・

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  大男が立つ様、あるいは”たこ入道”に見えるから、「入道雲」という名称なんだそうです。 調べてみたら、関東では坂東太郎、大阪地方では丹羽太郎、福岡地方では筑紫太郎 というそうです。たくさんの名前があって愉快です。

セミ

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  厳しい暑さが続いています。 境内ではセミの鳴き声が鳴り響いており、夏を大いに感じさせてくれています。 台風もくるようです。 目まぐるしい天候の変化ですが、 くれぐれもお身体ご自愛ください。

源光寺のブログはじめました

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南無阿弥陀佛 皆様、こんにちは。 このブログは「貞松山 無量院 源光寺」のブログです。 以前、ホームページを作成したものの、プロバイダーの変更により 使用できなくなったこともあり、ずっと作成しようと思っていましたが、 なかなか取り掛かることが出来ませんでした。 ただ、以前からお檀家さんの要望もあり、ブログを開設してみました。 ブログとはしたものの、記録としての不定期更新となります。 少しずつ作成していき、少しでも源光寺を知る機会を提供できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。                              小住 合掌